「つきのうさぎ」ジャータカえほん
出版 財団法人 鈴木学術財団
え 中尾 彰
ぶん 与田準一
この「つきのうさぎ」絵本の裏表紙には次のように書いてあります。
「つきのうさぎ」(南伝大蔵経第316兎本生話)の物語は、わが国の今昔物語にも収められているもので、私たちには、昔から親しみ深い説話の一つです。
施すものを何も持たない兎が、こともあろうに自分の身体を火に投じて、老人に空腹を充たしてあげようと考えました。
布施(ほどこし)のうちでは、これは最大の犧牲を伴うものですから、その背後には、並みたいていでない決心と誠意とがあると考えられます。
これが兎に考えられるただ一つの方法であったのですが、やさしい兎がためらいにも怖れにもうちかって、火の中に身をおどらせることができたのは、布施の行いを大切にし、誇りと考えていたからだといえるでしょう。
私たちが聞きなれた結末としては、兎は焼け死んで月に生まれかわってお餅をついているのですが、南伝ジャータカでは、この絵本のようにまとめられています。
月に再生するにしても、月に兎の姿を描くにしても、私たち人間の生活を理想的にだけ割りきるのではなく、心の底に感じとった、かなしいまでの真実から生み出された物語であるといえます。
困っている人を救ってあげようという、兎のひたむきな心の美しさによって、小さい人たちの心情が一層豊かに育まれますように、祈っています。
仏教の「捨身供養」のお話には他に「捨身飼虎」や「施身聞偈」などの物語あります。
いずれも我が身を捨てて他の者を救い、あるいは仏法の真実を知ろうという悲しいまでのお話です。
残念ながら私には何度月を見ても月に兎の姿を見ることができないし、ましてや月に兎が餅をついている姿など見つけられないのです。
私の心が貧しいのでしょうか?
日本や中国、韓国などでは月に兎ですが、他の国では月に兎がいるのではなく、鰐や驢馬、ライオン、ヒキガエル、髪の長い女性、男の子、女の子などの姿をイメージすることもあるようです。
その人の心の持ちようで、月の中の陰が色々な姿となって現れるのでしょう。