上川離宮・お休所
皇太子嘉仁親王は明治45年(1912)7月30日、明治天皇の崩御に伴い大正天皇に即位された。
その前年、皇太子殿下は明治44年8月20日から9月12日まで北海道各地を行啓されている。
8月20日に函館御到着の後、旭川には8月30日午後3時55分、旭川駅に到着され第七師団偕行社(御旅館)に向かわれている。
9月1日には上川離宮予定地(御料地)に立ち寄られている。
この皇太子殿下の旭川行啓については『旭川史稿上巻・第十五章 東宮行啓』に詳しく記載されていて、その内「上川御料地行啓」についての記載は次の通りである。
『同日(9月1日)午前十一時四十分旭川驛御發、神楽岡假停車場に御着。
御徒歩にて坂路を登らせられ、丘上の御座所に入り、帝室林野管理局札幌支聽長田町與三郎より、支聽管内御料地の概要及び上川御料地の状況を言上。
御晝餐後、御徒歩にて丘を降り、御乘車あらせられたり。
斯て御召列車は徐行して午後二時四十分旭川驛御着、御馬車にて御歸館あらせられたり。』
(旭川史稿上巻665頁より)
上掲載の絵葉書はこの時使用された「御座所」の写真二葉である。
この「御座所」の名称は「離宮神楽岡御便殿」、「皇太子殿下旭ヶ丘休憩所」などと記載されているが、皇太子殿下御一行が休憩し昼食を取られた場所である。