寄生木
寄生木(やどりぎ)である。
この寄生木は東川町から旭川市へ向かう途中、東旭川の道路の傍にある。
平地の田園の中の、さほど高くない木に、この寄生木がある。
私は大雪山国立公園内の天人峡温泉に行く道の高い木に寄生木があるのは知っていたが、このような平地のしかもさほど高くない木に寄生木があるのを知らなかった。
鳥達が寄生木の種を運んできて、ここに大きく育ったのだろう。
それにしても良くここに寄生木が育ったものだと感心している。
寄生木【やどりぎ・宿木】
①ヤドリギ科の常緑低木。ケヤキ・エノキ・クリ・コナラ・ミズナラなどの樹上に寄生。枝は丸く緑色で,叉状に分枝して,全体球形に茂る。枝先に披針形の厚い葉を対生。雌雄異株。早春,淡黄色の小花を頂生し,球形の液果を結ぶ。ホヤ。トビヅタ。
②他の樹木に寄生する草木。 (スーパー大辞林3.0 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2010)
「寄生木」と云えば、徳富蘆花の小説「寄生木」が思い浮かぶ。
徳富蘆花の小説「寄生木」は徳富蘆花の名ではなく、徳富健次郎の名で書いている。
徳富蘆花は或る日、小笠原善平(小説の中では篠原良平としている)と云う青年から自分の思いを小説にして欲しいと頼まれる。
「小説寄生木序」には次のようにある。
正當に云へば、寄生木の著者は自分では無い。
眞の著者は、明治四十一年の九月に死んだ。
陸中の人で、篠原良平と云ふ。
明治三十六年の四月頃だったと覺えて居る、著者が青山原宿に住んで居た頃、ある日軍服の一壮漢が玄關に音づれた。
何處(どこ)の軍曹かと思ったら、士官學校生徒で、少し御願いがあると云ふ。
率直の男らしく見えた。
客間に請じて來意を問ふと、恩人の爲に著作をして欲しいと云ふ。
恩人と云ふのは誰だと聞けば「大木閣下であります」と眞四角に答える。 (以下省略)
この小説「寄生木」は北海道旭川と深い関係がある。
徳富蘆花に著作を頼みに来た、篠原良平(小笠原善平)と云う青年は旭川の第七師団に属していた。
現在、旭川市には徳富蘆花の碑が二つある。
一つは旭川市春光台公園内にあり、もう一つは旭川実業高校敷地内にある。
今は両方とも雪の中に埋まっている。