続あ丶野麦峠・山本茂実 著
続あ丶野麦峠
著者 山本茂実
昭和55年4月10日 初版発行 株式会社 角川書店
「まえがき」
この本は前に出した『あ丶野麦峠』の単なる続編というつもりはありません。
私が野麦峠の取材にかかってすでに十七年、その間読者から寄せられたおびただしい情報と、その後もさらに続けた取材によって、前作の誤りや、誤りでなくてもニュアンスの違いや、付け加えねばならないことがあまりにも多くなって、どうしても別に本をまとめねばならなくなりました。
それによって、多少なりとも前作のテーマ自身の突っ込みを深めることができたと自負しています。
したがってこの本は私自身が書いたものというよりも、多くの名もない民衆が、みんなで創作した見本となるかも知れません。
人間一人の力なんて、大したことはないものです。
私はここでもまた民衆の英知とエネルギーの前に脱帽し、教えを乞うものであります。
ただ残念なことは折角集っている資料も、時間がなくてその多くが未整理のままで、今度は発表出来ないことです。
昭和五五年三月一〇日
東京都小平市仲町の自宅にて 著者
目 次
◆「あゝ飛騨が見える」その後
第一話 おみね地藏由来記
私の工場の悪口をいわないで
極道辰次郎とその一家
俳誌の中に生きていた辰次郎
底知れない辰次郎の怒り
第二話 越中おわらと野麦峠
驚いた越中からの手紙
越中八尾取材メモから
姉三人みんな工場で死んだ
女護ヶ島岡谷のお盆と越中おわら
第三話 オトメ餅の哀歌
明治前からあった飛騨の糸ひき稼ぎ
四分六分年貢とくちべらし
糸ひきの金で納めた小作料
◆ 飢餓街道の物語
第四話 ワラビ粉の村
ワラビ粉のなりわい
がまんならなかった娘たち
遠くで盆踊りの歌が聞える晩
鬼婆さにさからった二人娘
第五話 生活の道・野麦街道
お助け茶屋と鬼婆さ
野麦越えの旅路
飛騨の歩荷(ぼっか)さのこと
尾州陸舟(おかぶね)のこと
糸ひき街道の白黒騒動
第六話 野麦峠を越えた飛騨鰤(ひだぶり)
歳取り魚「飛騨鰤」のこと
鰤網を越す大浪の見えにけり
鰤荷は先を急いでいた
◆ 飛騨の糸ひきさ
第七話 美女峠宇野茶屋のこと
坂下の牛宿
宇野茶屋の工女
工女は貧乏人だから──
第八話 山中紙と利賀水無(とがみずなし)
寒漉きの唄
利賀水無のこと
飛騨の娘と哲学青年
第九話 石室の咲いた冬の花
吹雪の中で腹痛を起した工女
早川検番と工女ヨシエ
人間らしい恋も生きていた
第一〇話 美女峠の英雄
お宝と穀つぶし
がまんならない年中行事に──
第一一話 旦那様と百円工女
工女の帰った奥飛騨の村にて
ととまペコペコするのは止めて!
ついに勝った「製糸の宝」たち
◆ 証言・野麦街道
第一二話 古着商人(あきんど)の語る野麦物語
うちの女房と寝てくれという話
通貨がワラビ粉だった古着商人
第一三話 お助け茶屋・鬼婆さの謎
謎に包まれている鬼婆さ
「前戸主大野とみ」と鬼婆さ
峠を下らなかった鬼婆さの秘密
第一四話 野麦峠・飛騨側と信州側
飯米不足を信州側に求める執念
逃げにかかった信州側の真意
第一五話 野麦越えの花嫁さん
杖に蛇を巻きつけた信州代表
峠の花嫁さん「受け取り渡し」
野蛮この上ない略奪嫁の謎
血の雨を降らせた略奪の後始末
第一六話 中央線の開通と野麦峠
第一七話 野麦峠の挽歌
──ある女の回想から──
◆ 大正から昭和へ
第一八話 死ぬ代りだった「逃げた工女」
ズレっこ三人組の話
祭に逃げた工女
それは死ぬ代りだった
第一九話 長い銭湯と関東大地震
三人の待っていた手紙
駅に待ち伏せしていた小林検番
天地鳴動百雷落ちる
第二〇話 繭倉にすすり泣く幽靈
水虫は会社に損だということ
工女保護では製糸は成り立たない?
やれ工場法だ何だかだと──
第二一話 男工哀史
上履を抱いて受付に寝る
木魚を叩くように殴打される
豚に歴史はない
第二二話 ペーパー詐欺の裏側
製糸業は軍需産業だった
警察にも訴えられない事件
血迷った生死業者
行きづまった日本の資本主義
◆ 余聞・工女惨敗せり
第二三話 争議団誕生の謎
岡谷に初めて現われた総同盟の看板
雀が巣に入る時のように
第二四話 信州製糸業家への一大警告
第二五話 山一の就職した警察署長
第二六話 新資料・六本の手紙
いきさつのわかる斎藤健一の手紙
「母の家」始末記・市川房枝の手紙
第二七話 嵐の後も寒かった
工女保護組合立ち上る
大々的に発表された山一解雇者名
製糸に見切りをつけた者もあった
第二八話 湖畔に出来た極楽の殿堂
工女は船で行く夢の国
諏訪湖畔の地獄極楽
【山本茂実】
一九一七年長野県松本市に生まれる。
農家の長男として農業に従事する傍ら、松本青年学校に通う。
その後、現役兵として近衛歩兵第三連隊に入営。
軍隊生活・闘病生活など合わせて八年間を送り。傷痍軍人として終戦を迎える。
戦後上京して早稻田大学文学部哲学科に学ぶ。
昭和二三年。「生き抜く悩み── 一哲学青年の手記──」を処女出版し、同年末より同志と共に葦会を組織し、雑誌「葦」「小説葦」総合雑誌「潮」などを創刊、各編集長をつとめる(約十五年間)。
[著書]
「あゝ野麦峠」「喜作新道」「高山祭」「塩の道・米の道」「松本連隊の最後」。人生論三部作として、「生き抜く悩み」「愛と死の悩み」「嵐の中の人生論」他。