新版 あゝ野麦峠・山本茂美 著
新版 あゝ野麦峠-ある製糸工女哀史-
著者:山本茂美
昭和47年(1972)12月30日 朝日新聞社:発行
「新版を出すにあたって」
近代日本のある裏面史を描いたこの本が出版されたのは、〈明治百年〉といわれた昭和四十三年のことでした。
あれからちょうど四年、この間にこの本は、三十五刷もされて紙型が磨滅してしまい、このたび新版を出すことになりました。(中略)
最近送られてきたある雑誌に、作家の倉科 平(くらしな たいら)氏がこんな意味のことを書いています。
「私の叔父がこの春路傍で倒れて急死した。この叔父は山家のおっさんには珍しく、若いことから読書家で、倒れた時もやはり本をもったまま死んでいた。この本は、山本茂美の『あゝ野麦峠』だった。叔父は、しきりにこの本を人にすすめて歩き、この日も読み終えられた本を持って、近所の女の先生を訪ねた帰りだった。叔父は、この最期の愛読書を柩の中に入れてもらって、冥土に旅立った・・・・・・・」(中略)
今度、高等学校の教科書(現代国語二=角川版)に、この本の一節が収録されたのも、現場教師その他の方々からの強い推薦があったからとのことです。(中略)
新版を出すにあたっては、その後の取材で入手した新資料の追加、事実の誤りの訂正、文章の整理、そして全国の読者から寄せられたおびただしい数の手紙による資料提供などによって、旧版を全面的に書き改めました。(後述略)
昭和四十七年十一月
東京小平の自宅にて 山本茂美
「あゝ野麦峠」その後
(新版 あゝ野麦峠-ある製糸工女哀史-395~396頁より)
●野麦峠にの女工哀史の碑
昭和四十三年十一月三日、地元信州側奈川村、飛騨高根村が主体となり、明治百年を記念して野麦峠に記念碑を建て、その除幕式が行われた。
題字は朝日新聞天声人語の荒垣秀雄先生の筆で「あゝ野麦峠」。
この日はまれにみる晴天で全山紅葉、招かれた元糸ひき老婆数十名は、初雪で化粧した乗鞍岳を喜んだ・・・・・・・
●野麦峠の歌、レコード化
「人はいくつか 峠を越える 雪の野麦はどなたが越えた・・・・・・・」
これは吾妻みどりが歌った「あゝ飛騨が見える」の一節である。
(昭和)四十四年四月高山市の飛騨体育館での発表会には、五千人もの入場者があり、元糸ひきの老女も招かれて盛会だった。
引続き吉永小百合もビクターから「野麦峠」(曽我部博士作詞・作曲 蒲豊扇振付)を発表、にぎやかな話題を呼んだ。
●吉永小百合の映画化のこと
(参照) 野麦峠・吉永小百合
●劇団民芸長期公演
(参照) ああ野麦峠・劇団民藝公演
このほか四十四年一月には朝日放送が市原悦子主演の三十分ドラマで放送。
また四十七年三月には東京芸術座が高橋左近演出で公演、好評を博した。
●感想文、文部大臣賞受賞
◎第十五回・文部大臣賞
毎日新聞社。全国図書館協議会共催、青少年読書感想文コンクール
「あゝ野麦峠を読んで」杉山三代子
◎第十六回・全国学校図書館協議会会長賞
「あゝ野麦峠を読んで」水野真由美
●学校教科書その他に収録
①[現代国語二(角川書店版](編集委員、東大名誉教授久松潜一、吉田精一等)「あゝ野麦峠」の中の「文明開化と野麦峠」の大部分二十一ページ収録、発売四十八年度。
このほか住井すみ編「文学読本はぐるま」。
三省堂の高校生副読本「人間の発見シリーズ」。
ポプラ社の絵本「絵本・野麦峠」等が予定されている。
●野麦峠お助け茶屋再現
地元高根村が野麦部落にあった工女宿を峠に運び〈お助け茶屋〉として宿泊施設に改良、四十四年秋盛大な落成式が行われた。・・・・・・・」
(中略)
野麦峠の最近の自然破壊は目にあまる。
さしさわりがあるので具体的にはいえないが、これ以上破壊がすすまないよう、みんなで厳重に監視していきたいものである。 (山本茂美)