剣淵町・神龍寺七世大祥忌
剣淵町の神龍寺では、平成28年12月12日、神龍寺七世(法輪寺五世)大岳宏文大和尚の大祥忌(三回忌)法要が厳修された。
故松井宏文師(神龍寺七世大岳宏文大和尚)と拙僧とは長い付き合いであった。
宏文師が旭川西高等学校に在学の時、大休寺に春休みや夏休みに手伝いに来ていた。
その頃からの付き合いである。
宏文師が駒澤大学に入ってからも続いていたような気がする。
やがて、宏文師は大本山永平寺に安居した時、故郷の神龍寺のお師匠様は午前3時半頃起きて「今頃、宏文も曉天坐禅を組んでいるだろう」と遠くはなれても弟子と一緒に坐禅を組み朝課を勤めていたと云う。
宏文師が本山に上山安居して間もなく、拙僧は別の用事で祖山に上がって宏文師と面会した時、とても嬉しそうな顔をしていたのを思い出す。
その後、長く永平寺に安居していたが、金沢の大乗寺に用僧に行ったこともあった。
永平寺に戻り、不老閣の侍香として秦慧玉禅師のお世話をするようになった。
地方巡錫の折りも秦慧玉禅師に付き従い、全国を飛び回っていた。
やがて永平寺を乞暇し、暫く大休寺を手伝い、その後剣淵の神龍寺に戻り副住職となり、ほどなく神龍寺七世住職に就任した。
そんな頃は、兄、弟のようにつき合ってくれた。
一度、大喧嘩をしたこともあったが。
宏文師はとても法式に明るかったので、近隣御寺院大法要を二人で仕切ったようなこともあった。
宏文師はまた、祖山二期法要には必ず随喜して、直檀をも勤めるようになった。
地方にあっても全国的に大法要に呼ばれて随喜していた。
とても愉快な、優秀な宏文師であっただけに、その早すぎた遷化はいまでも残念に思う。