あゝ野麦峠 映画

あゝ野麦峠・映画パンフレット・新日本映画株式会社
あゝ野麦峠・映画パンフレット・新日本映画株式会社
あゝ野麦峠・映画パンフレット・東宝株式会社事業部
あゝ野麦峠・映画パンフレット・東宝株式会社事業部

 

あゝ野麦峠 映画

 

山本茂美著「あゝ野麦峠-ある製糸工女哀史-」は何度か映画化しようと企画された。

昭和43年10月、吉永小百合を主役にして第一回目の映画化が企画されたが、同年10月、映画製作を中止している。

 

この「あゝ野麦峠」の映画パンフレットには、「昭和43年、山本茂美の原作が発表されて以来、吉永小百合をはじめ、多くの映画人が映画化に挑戦したが、あまりにもスケールの大きいことと莫大な製作資金を要するため実現にはいたらなかった。その後“幻の企画”といいつづけられて10年余。このロングセラーを博したノンフィクション名作にかねてから惚れ込んでいた持丸寛二が自ら新日本映画株式会社を興して製作に着手。大手各社配給権争奪戦の末、東宝が獲得、まさに日本映画の興亡をかけた超大作として、今ここにようやく日の目を見ることになった。・・・・・・・」とある。

この「あゝ野麦峠」の映画パンフレットは二種類あって、新日本映画株式会社と東宝株式会社とのものがある。

 

この「あゝ野麦峠」の映画は昭和53年完成し、昭和54年6月9日、仙台東宝で先行ロードショーの後、昭和54年6月30日、東宝系全国150館で一斉公開された。

 

「あゝ野麦峠」

 監督■山本薩夫

 原作■山本茂美(朝日新聞社刊・角川文庫版)

 製作総指揮■持丸寛二

 

■キャスト

あゝ野麦峠・映画ポスター
あゝ野麦峠・映画ポスター

  • 政井みね・・・・・大竹しのぶ
  • 篠田ゆき・・・・・原田美枝子
  • 三島はな・・・・・友里千賀子
  • 庄司きく・・・・・古手川祐子
  • 平井とき・・・・・・浅野亜子
  • 久保えい・・・・・・岡本茉利
  • 杉山みつ・・・・・・黒川明子
  • 荒井たみ・・・・・志方亜紀子
  • 山村さわ・・・・・・今村文美
  • 足立晴夫・・・・・・森次晃嗣
  • 野中新吉・・・・・・山本 亘
  • 川瀬音松・・・・・・赤塚真人
  • 政井辰次郎・・・・・地井武男
  • お助け茶屋の老婆・・北村谷栄
  • 足立藤吉・・・・・三国連太郎
  • 足立とみ・・・・・・斉藤美和
  • 黒木権三・・・・・三上真一郎
  • 金山徳太郎・・・・・小松方正
  • 政井友二郎・・・・・西村 晃
  • 政井とも・・・・・・野村昭子
  • 政井菊五郎・・・・・渡辺由光
  • 石部いわ・・・・・・中原早苗
  • 木谷やえ・・・・・・津田京子
  • 井上まさ・・・・・・采野圭子
  • 松本さだ・・・・・石井くに子
  • 丸正検番・・・・・・江幡高志
  • 山安の守衛・・・・・長浜藤夫
  • きくの父親・・・・・福原秀雄
  • 伏見宮殿下・・・・・平田昭彦
  • 伏見宮妃殿下・・・・三条泰子
  • 中田貞三・・・・・草薙幸次郎

出演俳優350名、エキストラを含め登場人物、延13,000名。

有名な俳優達が名を揃える豪華キャストである。

この「あゝ野麦峠」の映画が大ヒットしたことは言うまでも無い。

 

ラストのみね(役・大竹しのぶ)が「飛騨が見える、飛騨が見える」と云って死んだシーンでは観客は大粒の涙を流し、声を殺して泣いていたという。

 

「ああ飛騨が見える」

明治四十二年十一月二十日、野麦峠の頂上で一人の工女が息を引きとった。

名は政井みね、二十歳、信州岡谷山一製糸の工女である。

この病女をネコダにのせて峠の上までかついで来た男は、岐阜県吉城郡川合村角川の政井辰次郎(31)、死んだ娘の兄であった。

(兄辰次郎は “ ミネ ビョウキ ヒキトレ ” という工場からの電報を受け取っていた。)

辰次郎は病室へ入ったとたん、はっとして立ちすくんだ。

美人と騒がれ、百円工女ともてはやされた妹のみねの面影はどこにもなかった。

病名は腹膜炎、重態であった。

準備して来たネコダに板を打ちつけて、座ぶとんを敷き、その上に妹を後ろ向きに座らせてひもで体を結わえ工場をしょい出した。

彼は松本の病院へ入院させるつもりで松本駅前の飛騨屋旅館に一泊したが、飛騨へ帰るというみねの気持は少しも変わらなかった。

何泊も重ねて野麦峠の頂上にたどりついたのが十一月二十日の午後であった。

その間みねはほとんど何もたべず、峠にかかって苦しくなるとつぶやくように念仏をとなえていた。

峠の茶屋に休んでソバがゆと甘酒を買ってやったがそれにもみねは口もつけず、

「アー飛騨が見える、飛騨が見える」と喜んでいたと思ったら、まもなく持っていたソバガユの茶わんを落して、みねの体は力なくそこにくずれた。

「みね、どうした、しっかりしろ!」辰次郎が驚いて抱きおこした時はすでにこと切れていた。

「みねは飛騨を一目みて死にたかったのであろう」。

そういって辰次郎は六十年もたった今、大きなこぶしを顔にあてて声をたてて泣いた。

(山本茂美著「あゝ野麦峠-ある製糸工女哀史-」22~24頁より抜粋。)