あゝ野麦峠・山本茂美 著
「あゝ野麦峠-ある製糸工女哀史-」 山本茂美 著 昭和43年10月10日第1刷 朝日新聞社発行
山本茂美 著の「あゝ野麦峠」には「-ある製糸工女哀史-」との副題がついている。
この「あゝ野麦峠-ある製糸工女哀史-」は著者の山本茂美が幼き頃婆様から聞いた記憶のある飛騨の糸引き工女達の話を思いだし、数年に亘り調査、聞き取りした明治の製糸工場史でもある。
実に丹念に歩き調べ上げた、全398頁の労作である。
この著書が発行された後、「ああ飛騨が見える」の話だけがクローズアップされているような感を持つが、この「ああ飛騨が見える」の話は、この「あゝ野麦峠」の中の一挿話であって、著書全体からすれば一割にも満たない。
でも、やはりこの「ああ飛騨が見える」の話は悲しい糸ひき工女の物語である。(著書22頁~26頁)
特に兄が病気の妹を背負うて故郷飛騨に向かい、野麦峠にさしかかり峠の茶屋で休んでいると、「アー飛騨が見える、飛騨が見える」と妹が言って死んだ所を読むと自然と涙が出てくる。
次にこの本の目次を掲げる。
この目次を見ただけでも丹念に調査した労作であることが解る。
「あゝ野麦峠」 目次
文明開化と野麦峠
地図にないノウミ峠 ──────────── 7
生糸が支えた文明開化 ────────── 9
赤い腰巻きにワラジをはいて ──────── 13
野麦の雪は赤く染まった ────────── 18
ああ飛騨が見える ──────────── 22
臨終の床で聞いた老婆のうわ言─────── 26
日清・日露戦争と野麦峠
ワラビ餅を売っていた鬼婆さ ──────── 31
恐露病と第二の元寇 ─────────── 36
平野村にあがった産業革命ののろし ───── 40
麦ワラジに紺モモヒキで越えた工女群 ──── 46
すりかえられた大和魂 ─────────── 49
古川の大火と野麦峠
古川の大火 ─────────────── 54
古川の火事と謎の異人さん ───────── 57
焼跡の召集令状 ───────────── 61
旅順港陥落と百円工女─────────── 64
諏訪湖の哀歌
農家のイロリ端の約定証 ────────── 68
諏訪湖の夜明け ───────────── 74
熱湯と蒸気と騒音の中で ────────── 78
工女虐待の乱暴検番検事局送り─────── 85
工女は泣くのが仕事だった ───────── 91
水車にひかかっていた工女 ───────── 95
弁天沖の哀歌
繭をごま化す購繭員の物語 ──────── 101
工女争奪・山賊が出る塩尻峠 ──────── 106
理解しにくい工女の成績 ────────── 112
工女引抜きあの手この手 ────────── 117
一斉に汽笛を鳴らして奉迎 ───────── 124
どうせこの身は弁天沖の ────────── 127
天竜川の哀歌
天竜川の肝取り勝太郎 ─────────── 132
戦慄すべき工場結核 ──────────── 138
奇跡と秘薬を求めて ──────────── 144
天竜川に流されたコモ包みの嬰児 ────── 148
工女の残した唯一の記録
糸ひき歌からみた工女生活 ───────── 156
無学が七〇パーセントの明治の工女 ───── 162
工女賃金台帳からみた工女生活 ─────── 169
野麦を越えてもち帰った金額 ──────── 182
雪の野麦越え
閉業の汽笛が湖面に流れ ────────── 187
雪の峠路にタイマツは続いた ──────── 191
谷底に生きていた工女 ─────────── 196
吹雪の峠に野宿した三百人 ───────── 202
老女の語る雪の野麦越え ────────── 206
美女峠の甘酒に生き返って ───────── 210
工女の故郷飛騨
荷馬車は急ぐ中山七里 ─────────── 216
イノシシ乱れとぶ古川の初売り ─────── 222
貴船神社の荷札 ────────────── 226
「八ッ三」の荷受け ──────────── 231
八ッ三を根城の工女募集 ────────── 234
本光寺の玉垣に秘めて ─────────── 239
工女惨敗せり
可憐な工女の嘆願書 ──────────── 245
立ちあがった工女千三百名の怒り ────── 250
異様な感に打たれた林重役の訣別 ────── 254
暴虐なる山一組をこらせ!! ──────── 259
デマ「争議団が爆弾を投げる」 ─────── 265
糸都岡谷に人道はなきか? ───────── 270
悲憤の涙に訣別の日は来た ───────── 276
峠の笹原を下る敗残の工女 ───────── 281
興亡・岡谷製糸
岡谷製糸気質と人身御供 ────────── 286
糸価波よりも高し ───────────── 287
目にあまる外商の専横 ─────────── 293
生死業とセリ金さん ──────────── 297
工場主も素ワラジにハッピ ───────── 304
それでも家の仕事より楽 ────────── 311
いったい誰がもうけたのか? ──────── 316
野麦峠のお地藏様
笹の海で生んだ赤ん坊 ─────────── 323
石地藏を背負って ───────────── 328
地藏様のナゾ ─────────────── 331
峠越えする工女の守り神 ────────── 336
巨艦「大和」とともに ─────────── 340
付録・糸ひき唄他諸資料 ───────── 345
私の取材メモから ─「あとがき」にかえて ── 393
この本の著者・山本茂美は最後に次のように語っている。
私の取材メモから
──「あとがき」にかえて──
私が野麦峠にとり憑かれてすでに数年になる。
こればかりの調査をするのに何年もかかったということは私の能力のなさを露呈するようなもので、あまり名誉な話ではないが、書物で資料集めすることを思うと、何ともはがゆい非能率的な重労働であった。
このことは破れた何足かのズック靴が物語っている。
高山の桑谷氏が週刊サンケイの記者に語った言葉によると、「彼は山男のようなかっこうで飛騨の村々を歩いている──」。また古川のアラキ呉服店主は、「おや山本さんも背広があるんですか?これははじめて見た」と冷やかされたくらい、まるで山男か物売りと思われながら私は飛騨を歩き続けた。
それが野麦峠を越えた老女と語り合うにふさわしい服装だからである。(中略)
飛騨の老女たちは野麦峠の話になると、まるで、娘時代にかえったように、いきいきと目を輝かせて語り続けるが、そのうちに、「ちょっと待ってくらっしえ」としばらく座をはずす老婆がいたら“しめたもの”で、たちまち近所から二、三人か数人も仲間をかき集めてくる。
こなったら私はいそがしいかき入れである。(中略)
家族は、「あゝまた婆さまの野麦峠か」と相手にしてくれない、それで彼女らは仲間同士集まって話すことになる。
野麦峠と岡谷での話は、戦争帰りの人々と同様いくら同じ話をくり返してもあきないのである。
それは彼らが戦争が好きなわけでも、ましてや吹雪の野麦峠越えが楽しかったはずもない、ただ言えることは彼らはそれを語るより他にわが青春を語るすべがないからであろう。
私はそう解釈して聞いた。
泣いて過ごしたキカヤの青春でも、青春はやはりかけがえもなく楽しかった、それは語らずにいられないものである。(後述略)
昭和四十三年八月十三日
松戸の自宅にて 著者