牛肉アレルギー
10月27日、旭川市大休寺で御開山法要が厳修された。
その昼食で、随喜の皆は「しゃぶしゃぶ(牛肉)」を御馳走になる。
しかし、拙僧だけは「豚しゃぶ」である。
この20年来、拙僧だけが特別に「豚しゃぶ」を用意して戴いていることには訳がある。
或る時から、拙僧は牛肉を食べられなくなった。
それは下記の事件があったからである。
それは今から20年程前のことである。
札幌中央寺で授戒会があった。
後日、その授戒会直檀寮の慰労会が札幌で行なわれた。
私はその慰労会で食べた物が原因で極度の脱水状態になったのである。
その時のことを記した日記風のリーフレットがここにある。
7月8日(金曜日) 札幌
PM 6:00
札幌中央寺大法要慰労会、札幌でも有名な牛肉料理店にて、すき焼き、しゃぶしゃぶを食べる。(参加者10名ほど)
大変豪勢な食事会で、最高級の牛肉であった。
隣りに坐った人が半生状態のすき焼き、しゃぶしゃぶを取ってくれ、ウイスキー水割りを飲みながら歓談しながら食べる。
水割りペース良し。
PM 8:00
二次会はスナックバー。
ウイスキー水割りを飲むが、腹が張って気分が悪い。お店から胃腸薬をもらって飲む。
異常に喉が渇き、トイレに行き吐く。
気分が優れず、皆を残し、先に失礼し、宿泊先のホテルに帰る。
PM 9;00
ホテルに着くと同時に嘔吐、下痢が始まる。
嘔吐、下痢が止まらずトイレから出られない。
喉が異常に渇き、水を飲むがそれも吐く。目は充血している。
鼻水が出て来て、それも止まらず。
トイレの中で嘔吐、下痢を十数回繰り返した後、身体中に発疹が広がる。
「食当たり」したと思い、ホテルから大通り西19丁目の夜間救急センターにタクシーで向かう。
PM 10:00
夜間救急センターに到着する。
当番の医師に事情を説明。
医師と話しながら坐っていられなくなる。
横になって良いか医師に聞く。
血圧計で血圧を測る。血圧最高50まで下がる。
最低測定不能。
すぐにベットに看護婦に抱えられながら倒れ込む。
鼻よりチューブで酸素を送る。(酸素度数3)
右腕より点滴、胸より心電図開始。
導尿開始。下痢をしたら困ると思いT字帯を当ててもらう。
左腕、看護婦、脈を測り続ける。
医師、目の前に指2本を出し、確認できるか聞く。
確認できる。(数回確認)
鼻よりの酸素度数、3より4に上げる。
このままでは意識を失う可能性があると考え、意識を失ってはならないと思う。
当番医師より「ここでは十分な手当てが出来ないので、自分の病院へ救急車で運ぶ」と伝えられる。
酸素、点滴、導尿をしたまま、救急車で札幌大谷地の病院へ向かう。
救急車の中、病院に着くまで看護婦は脈を診つづける。
7月9日(土曜日)札幌
AM 12:15
大谷地の病院に着く。
救急センターでもそうだが、ここでも昇圧剤を打ちながら樣子をみる。
医師、何度か喉に手を当て、呼吸できているか確認する。
(酸素を鼻から送っているのだが、もし呼吸が出来ない場合は喉を切開して気道を確保する。)
AM 1:30
後輩が病院に駆けつける。
後輩に家族に連絡するように頼む。
しかし、医師より「危険な状態(5分後がわからない)が続いているため、家族が病院に駆けつけても、1時間半位かかるのであれば、間に合わない事も考えられるので、朝を待って家族は来るように」と後輩は云われる。
(後輩とは故神龍寺松井宏文師)
AM 2:00
熱が有るのでアイスノンの枕。
足全体が赤く腫れ上がっているので、すごく痒い。
痒み止めの注射を打ってもらう。
しかしその時はすでに身体全体が赤く腫れ上がって象の皮膚のようになっていた。
AM 2:30
喉が非常に渇く。水を飲みたいが、飲んだら駄目だと云われる。
脱水状態がひどいため、水を飲むと体内の水分が出てしまい、よりひどい脱水状態になると云われる。
仕方が無いので、脱脂綿に水を含ませ、それで唇を拭いてもらう。(何回か。)
(後輩が「風間さん、末期の水みたいですね」と云う。)
AM 3:00
依然危険な状態が続く。口の中がネバネバとして気分が悪い。
嗽(うがい)を許してもらい、嗽をしようとするが、横になったままなので、うまく嗽が出来ない。
AM 5:00
うなされながら、うとうとと眠るが寝返りが出来ない。
眠りながら鼻のチューブを取ろうとして禁止される。(何度か取ろうとしたらしい。後輩述。)
AM 9:40
身体全体の腫れがスーと引いてゆくのが判る。
はっと目覚めると、ベットの横に家族がいた。
AM 10:00
救急治療室から個室に移る。(だが48時間以内は危険だと医者から云われる。)
その後、7月16日まで同病院に入院し、胃カメラ、大腸内視鏡などの検査を行う。
◎ハッキリとした原因は分からなかったが、恐らく「牛生肉に対するアレルギーショック(極度の脱水)」だろうと伝えられた。
その後、自坊に戻り仕事に復帰したが、会う人ごとに「一体どうしたのか」と聞かれるので、一々説明していると、その時のことを思い出し具合が悪くなるので、ワープロで経過報告を打ち印刷し、それを読んもらうことにしたので、この経過報告書が残っていた。