佐藤忠良・笹戸千津子:あい2004
笹戸千津子は佐藤忠良のアトリエに入って仕事をするようになった。
佐藤忠良は笹戸千津子に対して、学生時代よりも厳しく接したかも知れない。そして、こんなことがあった。
「佐藤教授のアトリエで仕事をするようになって数年後のことだった。
彼女はこれから新しく製作する立像の芯棒に粘土を付けた。
この人体の芯棒は大体、胴体の部分は木で作り、腕、首、脚の部分は針金で作る。
これにシュロ縄を巻き付け、それに粘土を土付けする。
そしてヘラを使って人体のポーズの粗付けである。
この人体の骨となる芯棒作りには、しっかりと手抜きをしないことが大切だ。つまり下ごしらえの大切さである。
彼女は粘土を粗付けして、乾燥しないように布とビニールを覆って帰った。
その日の夜、佐藤教授がアトリエに用があって入ってみると、何と彼女が製作中の粘土の立像が崩れ、覆った布がおむつのように塊の入った袋になって床に落ちていた。
佐藤教授は早速電話機を取りあげ、彼女の自宅へ電話をかけた。
すでに真夜中、寝起きの耳に佐藤教授の早口の声が飛んだ。
『芯棒の作り方が悪いので、粘土が崩れ落ちている。私が教えた通りに作らないから、こんな無残なことになる。芯棒の作り方が悪くて無様に粘土が崩れる、そんな失敗は許せない。やる気がないなら彫刻は止めたらよい。明日から来なくてもよい。』
滅多な事では荒い言葉は使わない師であるだけに、彼女は電話口で悔恨(かいこん)に崩れ折れた。
常日頃、仕事の細部の手続きの大切さを師は何度も説いていた。
インスタントな便利さ、手軽さを拒んでいた。
段取りの大切さを一つの自然の仕組みとして、いかに手抜き出来ないかを生徒や若い者に語っていた。
それは熱を入れて語っていた。
そして腕のよい職人は自分の仕事を極めて大切にし、誇りを持っているが、その仕事は常に段取り、その初めの下ごしらえを十分にする。
下ごしらえの時間は一見地味で面白くないものだが、これが仕事の核となる気持ちでやっている ─
── その日頃の師の言葉を彼女は痛く今また改めて想い出した。
真夜中、彼女は寝起きのまま車のハンドルを握り、佐藤教授のアトリエへ向かった。
真夜中のアトリエの中で芯棒を作り直し、芯棒に叩きつけるように粘土を喰い込ませた。
掌が熱く腫れあがった。
数時間が経ち、東側のアトリエの高い窓から未明の光が下りてきていた。
涙と汗で汚れた顔の前に一つの骨格を見せて、粘土の像は再び立った。」
(以上、市瀬見著「彫刻家佐藤忠良」144~146頁より)
佐藤忠良の彫像芸術に対する厳しさの一面がよく顕されている。
上の「あい」2004は旭川市北海道療育園の「風のギャラリー・彫刻の森」に展示設置されている、笹戸千津子作の彫像である。
前にも佐藤忠良の「人魚1967」のところでも書いたが、「風のギャラリー・彫刻の森」の中には十六体の作品が展示されている。
その彫刻群の中の一つに、この笹戸千津子作の「あい」2004がある。
「あい」と名付けられているこの少女の像は、幼さの中に凛とした風情がある。
腰に手をあて、真っ直ぐ前を向いて、うっすらと笑みを浮かべているが、どこか物憂げでもある。
笹戸千津子はこの「あい」2004と良く似た少女の像を作っている。
それは「少女」1992年である。
その像に対して、「笹戸千津子展-想いをかたちに-」の誌のなかで次のように笹戸千津子は語っている。
「女の子からもう少し大人になった少女を作ってみました。小学校高学年程度の女の子の芯のある、はつらつとした元気な女の子を表現したかったのです。彫刻が自己表現だとすれば、自分自身が強い女性にあこがれているのかもしれません。子供を作る時は、近所の子供をよく観察して制作しています。」