佐藤忠良・笹戸千津子:希望1989
昭和41年(1966)、佐藤忠良は桑沢洋子が設立した「東京造形大学」の理事となり、彫刻科の教授となった。
佐藤忠良教授は彫刻科の生徒を前にしてこう云った。
「四年間、私は君達を教える。うちの学校で一番出来の悪いヤツでも、私の言うことをしっかり聞き勉強すれば、上野の芸大のケツから三番目ぐらいには必ずして見せる。大体、君達の力量はこれ以上落ちないというところにいるんだから、明日からは向上することは間違いない」と。
笹戸千津子(ささど ちづこ)は1948年2月、山口県徳山市で父・笹戸正一、母・夏江の長女として誕生した。
彼女は東京造形大学の第一期生であり、志望した同大学インテリアデザイン科には補欠で入学した。
しかし当時、東京造形大学の彫刻科への入学者は募集人員に二名満たなかったので、学校の助言もあり、彫刻科へ入ることになる。
佐藤忠良教授の授業は厳しかった。
彼の彫刻の授業は「身体をいじめて、身体で覚えさせ、身体で表現させる」と云う、基本を確実に身につけることを徹底して覚えさせることであった。
鉋(かんな)を研ぐ、板を削る、角材を組むことから始めるのである。
笹戸千津子、1970年、東京造形大学彫刻科を卒業して、同大学彫刻研究室に入る。
1971年、第35回新制作展に初出品し、以後毎年同展に出品する。
1973年、東京造形大学彫刻研究室を終了した後、佐藤忠良のアトリエに通うことになる。
笹戸千津子にとって佐藤忠良のアトリエに通うことことが出来たのは好運であった。
しかし、そこには学生時代とは違ったより厳しい修業が待っていた。
佐藤忠良先生の弟子として、助手として、モデルとして、彼のアトリエに毎日通い続けた。
どんな悪天候でも、朝5時に起きて車を運転し、東小金井から朝7時までには杉並区永福町にある佐藤忠良のアトリエに入った。
(最初のアトリエは代々木上原にあった。)
朝アトリエに入るとまずアトリエの掃除、粘土練り、それが彼女の日課であった。
彼女は佐藤忠良の助手、時にはモデルを実に三十年間以上務め続けたのである。
その間、笹戸千津子自身の作品も同アトリエで製作している。
(「彫刻家佐藤忠良」市瀬見著 138~146頁参考)
写真の「希望」1989は笹戸千津子の作品で少年と花束を持つ少女のブロンズ像。
この像は北海道旭川市4条通8丁目の「旭川信用金庫本店」前に野外展示してある。
尚、旭川信用金庫本店には店内ロビーに佐藤忠良の「フードの竜」と、3階には佐藤忠良「冬の子供」のブロンズ像がある。