稲の花
一昨日までは最高気温30度以上あったが、昨日は最高気温24度であった。
8月7日は「立秋」。
秋立つ日よめる
秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる
藤原敏行の「古今和歌集」の秋の歌である。
昨日はこの歌通り、時折涼しい風が吹く、まさに「秋立つ」ような日であった。
だが再び、今日から16日までは暑い気温が続く天気予報である。
今、稲穂に花が咲いている田圃がある。
稲の花は米粒よりも小さい。
遠くから見ても、稲に花が咲いているかどうか判らない。
稲穂が出ると、次々と咲いて、受粉してゆく。
この受粉がうまくいかないと、空穂となってしまう。
稲の開花は晴れの日なら、午前10時前後から約3時間ぐらいしか開花していない。
この時が大切で、農家の人達は、お盆まで穂が出そろって、うまく受粉してくれるように祈っている。
今年は品種にもよるが個々の田によって、極端な成育の差がある。
既に稲穂が実ってきて穂が垂れている田圃、今ようやく稲穂が出てくる田圃がある。
6月の低温、長雨と日照不足が影響している。
一昔前は、田植え、田の草取り、稲刈り、はさぎ掛け、脱穀など、すべて人の手で行われていた。
冬になると稲藁(いなわら)で、縄(なわ)、叺(かます)、俵(たわら)、桟俵(さんだわら)、筵(むしろ)などを作る仕事があった。
一年中、腰をかがめる仕事の為、年を取ると、腰の曲がったお年寄りが多くいた。
東川町は米農家が多かった。
多かったと過去形にしたが、現在は田圃の真ん中に住んでいても、米作をしていない家が多くなっている。
以前は米農家であったが、米作が出来なくなったのである。
その理由は、後継者がいない、高齢になった、規模を大きくしないと利益がでない、など。
中途半端では、米農業は出来なくなっているのが現状。
東川町では百町歩以上、米を作付けしている農家が2件ある。
現状は米作付け15町歩から20町歩ぐらいの農家が多い。
百町歩以上作付けしている農家は後継者がいることや、法人化が進んでいる。
さらに、機械化された育苗施設も備えている。
今の農家の田植え、稲刈りは、すべて大型の田植機、稲刈りコンバインで行っている。
因みに、大型田植機は300万円位、稲刈りコンバインは1000万円位する。
この1000万円位する稲刈りコンバインは年間、一週間から、せいぜい10日ほどしか使用しないで役目を終える、勿体ない!。
このような規模の大きい農家に、以前五町歩くらい米作していた人は田を貸して、自身は農業を辞めてしまったのである。
僅かに自分たちの食べる野菜を作っている程度。
一般の農家の現状はそうではあるが、肝心の「お米」は「東川町の米は美味しい」 と有名である。
関係者の努力により、「東川米」 と云うブランド名で地域団体商標登録を取得している。
下は今はなつかしい田植えの風景である。