佐藤忠良・扉のレリーフ・旭川市:優佳良織工芸館
「優佳良織と私」佐藤忠良・彫刻家
「 もう十数年も前になるだろうか、千歳飛行場の売店の覗き歩きをしていたとき、はじめてみる美しいデザインの織ものが眼に入り、私はネクタイとマフラーを一枚買って帰った。渋いダークグリーンのマフラーの両端から朱や黄や明るい青が数條の縦縞になっているものである。
私はこの不思議なトーンを眺めながら糸の色数を数えてみる気になったが、素人の私にはその複雑さに眩惑されて途中で放棄してしまった。あれから他に何枚かのマフラーを持ちながら、今でも私はこれを一番身につけて歩くことが多いのだから面白い。その後まだ優佳良織を知らないままに札幌で女ものの巾広のショールを買った。淡紅色にグレーブルーの様な色調の模様無しのものである。家の女性たちにやることもせず、冬になると之を出して眺めているだけである。私はよく、自分には合わないことを承知で、ただ眺めるだけのデザインのいいネクタイを買うことがある。こういうものはなにか、私のやっている彫刻に似ていて、日用品でもないものを、どなたかが受け入れて下さって作品と対話されるのと同じことのような気がする。このマフラーは二代目の和博君二十歳初期のものだったことが、之を彼に見せて最近になって解った。私が優佳良織という名も知らずに求めたものが二代目のものだったことと似たようなことがその後にあった。(中略)
この「丸い椅子」は今、彼の工芸館中央ホールの真中で贅沢な大きな空間をもらい、裸婦を座らせて静かに休ませてもらっている。
旭川が一望できる丘に上に素晴らしいこの工芸館ができるとき、私も少しばかりの彫刻でのお手伝いをさせてもらうことになった。
牡羊の角を形どったシンボルマークや、偶然、この木内さん親子の生まれが、織女星にまつわる七夕の日生まれの綾女史、牡羊座の和博君ということで、その故事にならったレリーフを壁面とドアに、その他数点の彫刻を館内に置くことになったが、日を経る毎に私は、館の空気を損ねはしなかったかと案じている。(後略)」
(「優佳良織・木内綾展」1982 読売新聞社:発行、より)
この佐藤忠良の記によると「優佳良織工芸館」にはその壁面とドアに織女星と牡羊座の故事にならったレリーフが開館当初あったこと、さらに数点の佐藤忠良作の彫刻があったことが判るが、現在はドアのレリーフしか目にすることが出来ない。
その数点あった彫刻像の内一点は「円い椅子」1973 で、さらに後「ブーツの少女」1983 を外の池に設置したのであるが所在不明。
又、ドアーの取っ手の「牡羊の角を形どった」ものが佐藤忠良作であることも判明する。
「優佳良織」
優佳良織とは北海道旭川市の木内綾が始めた、羊の毛の織物である。
最初、アイヌの人達が織るアツシ織を参考にしたが、毛糸を紡いで染める染織の様々な優佳良織の工芸品はその独特な色合いが特長である。
その紋様はアツシ織の紋様ではなく、北海道の自然風土をモチーフにした木内綾の創作織物。
当初は「ユーカラ織り」と云っていたが、ユーカラはアイヌの叙事詩のため、アイヌの織物と間違われることが多く、版画家の棟方志功に相談したところ、「優佳良」と名付けてくれ、現在の「優佳良織」になったと云う。