「亞古」
このブロンズ像は旭川市東光9条4丁目の「旭川信用金庫東光支店」の前庭に野外展示されている。
台座には「亞」は旧字体で「亞古1964佐藤忠良」と書かれている。
亜古とは朝倉摂さんの一人娘、亜古ちゃん。
朝倉摂さんは舞台美術家で佐藤忠良の近所に住んで親しくしていた。
佐藤忠良は「佐藤忠良作品集●大きな帽子」の中で「亜古」のことを次の様に書いている。
◎ 亜古(アコ)
「変な字の名前です。朝倉文夫先生の孫、摂さんの一人娘。
お爺さまは一つも作らなかったのに、私は、この子が六年生になるまで、大小三〇個位作ったと思います。お母さんがお母さんだから、幼児扱いはあまり似つかわしくないので、私のところの家内が、しょっちゅう湯をつかわせに通いました。摂さんは、いそがしいからと云って、二、三日私のところに亜古を置いて行くことが何回かありました。私だっていそがしいのです。一緒に風呂に入って、着せようとすると、大人をからかって逃げ廻るので、預り賃に彫刻にしてやろうと思い立ったのが《ふざけっ子》です。
私の孫以前の子供の作品のほとんどは亜古がモデルです。
中学になってから、ぷつりとモデルをしてくれなくなったのですが、十八歳の先日、すっかり娘になって久し振りにモデルをしてくれました。幼心にオリエをみて役者になろうと思っていたようで、今は演劇勉強中です。時々お小遣いをせびりに来るのにはよわります。ケチ!」
(「佐藤忠良作品集●大きな帽子」モデルと私3・100頁より)
「佐藤忠良作品集●大きな帽子」佐藤忠良著 昭和53年(1978)12月1日(株)現代美術社:発行